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渋谷なつ av私の家はもとのまま「勝負になりやしないよ」
しからば「いき」とこれらの意味とはいかなる関係に立っているであろうか。上品は人性的一般存在の公共圏に属するものとして、媚態とは交渉ないものと考えられる。『春色梅暦しゅんしょくうめごよみ』に藤兵衛の母親に関して「さも上品なるそのいでたち」という形容があるが、この母親は既に後家になっているのみならず「歳としのころ、五十歳いそじあまりの尼御前あまごぜ」である。そうして、藤兵衛の情婦お由よしの示す媚態とは絶好の対照をなしている。しかるにまた「いき」は、その徴表中に「意気地いきじ」と「諦め」とを有することに基づいて、趣味の卓越として理解される。したがって、「いき」と上品との関係は、一方に趣味の卓越という意味で有価値的であるという共通点を有し、他方に媚態の有無うむという差異点を有するものと考えられる。また、下品はそれ自身媚態と何ら関係ないことは上品と同様であるが、ただ媚態と一定の関係に置かれやすい性質をもっている。それ故に、「いき」と下品との関係を考える場合には、共通点としては媚態の存在、差異点としては趣味の上下優劣を理解するのが普通である。「いき」が有価値的であるに対して下品は反価値的である。そうしてその場合、しばしば、両者に共通の媚態そのものが趣味の上下によって異なった様態を取るものとして思惟しいされる。たとえば「意気にして賤いやしからず」とか、または「意気で人柄がよくて、下卑た事と云いつたら是計これっぱかりもない」などといっている場合、「いき」と下品との関係が言表いいあらわされている。
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