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抽斎の家督相続は文政五年八月朔さくを以て沙汰さたせられた。これより先さき四年十月朔に、抽斎は月並つきなみ出仕しゅっし仰附おおせつけられ、五年二月二十八日に、御番ごばん見習みならい、表医者おもていしゃ仰附けられ、即日見習の席に着き、三月朔に本番に入いった。家督相続の年には、抽斎が十八歳で、隠居した父允成ただしげが五十九歳であった。抽斎は相続後直ただちに一粒金丹いちりゅうきんたん製法の伝授を受けた。これは八月十五日の日附ひづけを以てせられた。
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